父の日に思う『だだそこにいる幸せ』
今日はオーストラリアの父の日。
今年は特に、この日を家族みんなで笑って迎えられることに、何とも言えない幸せを感じる。
オーストラリアの父の日
こちらの父の日は9月第一日曜日。
母の日は日本と同じ5月なのに、父の日は6月じゃなくて9月。「なぜ?」と思って、ググってみたら面白い記事を見つけた。くすっと笑ったので、シェア。
大好きなダディの不在
うちのダディは子供が大好き。全然知らない子も巻き込んで、一緒に遊んじゃうぐらい。幼稚園の先生とかPlayschool(こっちの「おかあさんといっしょ」のような番組)のお兄さんになればよかったんじゃないのっていうくらい。だから、子ども二人もダディのことが大好き。(うらやましいくらい)
そんなダディ、今年の前半までは超忙しかった。常勤で働きながら、大学で勉強もしていたので、朝早く夜は遅い。土日も勉強。それでも、できるだけ子育てに参加したいと、できる範囲のことはやってくれていた。やる努力はしてくれていた。
でも、お父さんが不在というのは、子どもにも私にも負担が大きかった。「ダディが帰ってくるまで寝ないで待ってる」と頑張ってる上の子の寝落ちしてしまった姿に心が苦しくなったり、土日に仲良く遊んでいる家族を見て、自分一人で二人の子を世話しているのが辛いなあと感じたり。
大学の勉強は終わりが見えていたので、私も限定期間的なワンオペだからと頑張ってみたけど、 200メートル走を全力疾走しているような毎日だったなと、今では思う。
晴天の霹靂
そんなある日
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ダディに癌が見つかった。
全然、想像もしていなかった。。。
けっこう若いし、私より元気だし、エネルギーあるし。家族の中心にいて、どーんと私や子供たちを支えてくれていると思っていたダディ。
そんな彼の弱っていく姿が精神的に堪えた。足元がぐらぐらして、どうしていいか分からなくて、生活が一転した。ローラーコースターに乗せられているかのように、毎日が過ぎていった。とにかくその日を無事に終えることで精いっぱいだった。
手術をして、抗がん剤治療をして、冬の終わりとともに、いったんそのローラーコースターは終わりを迎えた。薬の影響が完全になくなるまでには1年くらいかかるらしいし、これからも経過観察で検査は続くけど、まずはひと段落ついたことに家族中がほっとしている。
ただそこにいる幸せ
そんな中で迎えた父の日。
「ダディ、ありがとう」と一日早く上の子が渡したプレゼントに
ケラケラ笑いながらダディの膝の上にのってはしゃぐ子供たちの笑い声に
家族みんなで歩く後ろ姿に
その瞬間が持てていることの幸せを噛み締めている。
もちろん、イライラしたり、意見が食い違ったり、〇〇してほしい!って思うこともある。劇的にそう思うことが減ったとか、病人だから急に優しくなったりとかは、あったかな??という感じ。笑
でも、今までより格段に、
『今のこの瞬間を一緒に感じられること』
『きれいだね。たのしいね。嬉しいね。。。を言い合えること』
『手をつないだり、ハグしたり、キスしたりできること』
『時には喧嘩ができること。笑』
そんなことが幸せだと気づけるようになった。
そこにいるだけでいい。
本当によかった。
ありがとう。